私の課長時代(1社目)【社内向け】
【社内向け】
シナプス組織では、リーダーであるコアの存在が最大のポイントとなる。
うるるでは概ね課長以上の役職者がコアとなる。
そこで、私の課長時代がどのようなものだったか、今とは業種も時代も違うので具体的に参考となるものはないが、何かを感じてもらえればと思いまとめた。
シナプス組織において、高純度にうるるのアイデンティティを組織に浸透させるためには、コアであるチームリーダーが重要な存在だというのはお話した通りだ。
コアは組織の役割の一部として機能を全うするだけでなく、リーダーとしてコアラーであるメンバーを理想の状態にしなければならない。うるるの組織の成功はコアにかかっていると言っても過言ではない。コアに求められるものは多くて大きい。
さて、うるるの理念やスピリット、社風や文化は、私の経験が少なからず影響を受けている。
シナプス組織という理論も私の価値観や人格からにじみ出ている部分もあるだろう。
私のどんな経験から今の価値観にたどり着いたのか、私のコア時代をお話しすることでその理解が進めば幸いだ。
ただし、私のやり方を真似して欲しいということでもないし、コアの在り方を強制するつもりもない。
皆さんの在り方を尊重したい。
どうすればコアの責務を全うできるかは、自分で考え自分のやり方でやるのが一番だと思う。
それでは、私の経験とコア時代をお話ししよう。
目次
私の課長時代<1社目編>
私は高校を卒業してから美装屋のアルバイトを経てA社に入社した。
通信機器を取り扱う会社といえばかっこいいが、家庭用のFAX付き電話機を一軒一軒訪問して販売する会社だ。
設立2年目で社員が20〜30人くらいだったと思う。
中学時代の先輩と後輩だったという社長と専務がいて、事務員が2人。あとは全員営業マン。
毎朝9時ちょうどに「朝礼!」という掛け声がかかると、「押忍!」という返事ともに勢いよく素早く起立する。
朝礼ではまず専務の机の上に掲げられた社訓を全員で読み上げる。いや、叫び上げる。
初日は何事かと思った。
そのあと専務のありがたい話がある。
松下幸之助の話が多かったが、二十歳前後の社員に向け、唾を飛ばし汗をかきながら一生懸命話してくれる。その後2人1組でロープレを実施し、チームリーダーを中心としたミーティング後、「行ってきます!」と叫び、会社を飛びだす。
チームで車に乗り込み、その日リーダーが決めたテリトリーに向かう。途中ランチをみんなで食べる。何を話してたかはひとつも覚えていないが、学生時代の昼食時間のような楽しく大切な時間だった。
チーム編成は毎日変わるが、どのチームリーダーにも北大近くの大盛りが有名な定食屋が人気だった。
テリトリーに着くとリーダーが1人ずつメンバーを車から降ろしていく。「じゃあお前はこの角の家からローラーで」。ローラーとはローラー作戦のことで、ローラーをかけるように一軒一軒しらみつぶしにあたる方法だ。
13時くらいから19時くらいまで、契約が取れない時には24時過ぎまで、とにかく訪問して販売する。アポなし突撃訪問だ。客に怒鳴られることもあったし、胸ぐらを掴まれることもあった。
大切なのはスキルやテクニックより気合いと根性だと教えられた。
当時よく布団の訪問販売や新聞の訪問販売とバッティングした。ソーラーパネルの訪問販売と学習教材の訪問販売の気合いと根性にはかなわないと思った。
会社では、当時普及し始めた携帯電話を持つことを当たり前とされ、当然の如く自前で買わされる。
その買ったばかりの携帯には専務からバンバン電話がかかってくる。
会社を飛び出した社員がサボらずに仕事をしているか確認するためだ。
契約が取れない人には5分おきにかかってくる。感情むき出しで追い詰められる。
携帯を通話状態にして内ポケットに入れさせて、客先でトークしているのを確認することもある。なかなか客がつかまらず、公園のベンチで架空の客にトークを繰り広げ、携帯の先の専務に聞かせている先輩もいた。
契約を取るとお客様宅から電話を借りて会社に電話をする。専務にだ。
契約書に必要事項は記入してもらうので、別にわざわざ電話して伝えることはない。今考えれば架空契約を防ぐためだったのだろう。
契約が取れた時の電話の合図は「CPコールです。」だった。意味はわからない。
CPコールをすると専務が出る。そして大声で「おめでとーう!!」の称賛が待っている。
この声が受話器から漏れてお客さんに聞こえるのが恥ずかしかった。だから力一杯受話器を耳に当てておくのだけど、それでも漏れる。
これが、恥ずかしくも嬉しい。それまでどんなに追い詰められていようとも、この専務の全力の称賛を感じ知ることで全てが報われる気分になる。
たまに早い時間に複数の契約を取って会社に戻っている次長が出ることもあった。専務を真似して大声でやるのだが、あまり報われることはなかった。
A社の評価システム
1995年の確か10月。19歳になってすぐの私はDODAで見つけたA社の面接を受け、翌日入社した。
A社の評価システムは至ってシンプル。
1ヶ月に10件売れば主任に昇格する。主任になって1ヶ月に15件売れば係長に、係長が2ヶ月連続で20件売れば課長に、課長が2ヶ月連続で30件売れば次長に昇格する。
私は入社3ヶ月目で課長の条件をクリアした。
高校を卒業して1年も経たない私が課長になったのだ。
課長といえば管理職だか、当時のA社は、課長という冠が付いただけでやることは何も変わらない。責任が増すわけでもなければメンバーをマネジメントすることもない。
会社もそんなこと求めていなかったし、まだマネジメントという言葉はこの当時なかったんじゃないかな。
けど、19歳なりに勝手に自覚はしていくもので、朝礼後のロープレでは自分のトークを教えてあげたり、売れなくて困っているメンバーに同行して、クロージングを手伝って契約を取ってあげたりしていた。
A社での私の課長時代は、あまりにも世間知らずで未熟で、課題を持つ機会もなければ勉強しようと思ったこともなかった。
ただ目の前にあることを一生懸命やるだけ。
その日一緒になったメンバーに少しだけ思いやりを持つ程度。
できたばかりの会社で人数も少なく、専務以下大半が営業マンという特殊な組織形態ということもあったが、この当時のA社にリーダーの責務はなく、専務がただ一人のリーダーだった。
専務はとにかくすごかった。
圧倒的な存在感と迫力と暴力性を放っていた。ガラスの灰皿を投げ付け血を流していた社員もいた。
そんな専務から私はとても可愛がられた。多分一番可愛がられた。なぜなら断トツの成績を上げ続けていたからだと思う。複数契約を決めて早々に会社に帰ることが多かった。
会社に帰ると全員の携帯番号を暗記している専務が、見えないほどの指の動きで電話をかける。出た社員に対して早口でまくし立てるように叫んでいる。鬼の形相で詰めている。詰められている社員はいつも気の毒に思えた。
専務とはよく野球もした。ティッシュペーパーとガムテープでボールを作り、新聞紙を丸めたバットでやる野球だ。ビルの1階のちょっとしたスペースでやる野球だ。
売れずになかなか帰ってこない社員を待つ深夜、専務も私も汗びっしょりになってやっていた。
ゆうても専務も若い。確か私の4つくらい上だったので、当時23歳くらいか。
新卒の年齢だったのかと思うと、改めてすごさを感じる。
専務の中学時代の先輩だった社長はたまーにオフィスに顔を出すのだか、社長は専務の100倍すごかった。迫力がありすぎてまともに目も見れなかった。絶対的王者の風格。いやジャイアンのようか。専務とはまた違ったすごさがあった。
専務は私がA社を辞めた後社長になった。
今はグループ全体で800名を束ねる社長になっている。
1社目編 ~完~
1社目で気合いと根性を、2社目で義理と人情を学べた。
20年前はこれでいいが、今はこういう会社に入ったら不幸だろう。
組織は化学され戦略は当然ロジカルでなければならない。
しかし、だからといって気合いと根性や、義理と人情が不要になったわけではない。
この2つは私の血や肉になっている。だから、うるるの社風にも滲み出ていると思う。