私の課長時代【社内向け】

【社内向け】

シナプス組織では、リーダーであるコアの存在が最大のポイントとなる。

うるるでは概ね課長以上の役職者がコアとなる。

そこで、私の課長時代がどのようなものだったか、今とは業種も時代も違うので具体的に参考となるものはないが、何かを感じてもらえればと思いまとめた。

 

 

私の課長時代

<2社目編>

オーストラリアから帰国して3日後、DODAで見つけた創業間もないB社に入社した。

1社目のA社は訪問販売で通信機器を販売する会社だったが、2社目のB社は電話で教材を販売する会社だった。

教材販売といえば、A社で営業しているときよくバッティングしてた営業の猛者たちがやると思っていた業界だ。

面接を経て翌日入社し、電話帳を使って上から順に電話をかけアポイントを取る。最初の3日間はひたすらアポ取り。

4日目からこの3日間で獲得したアポに営業していく。

今考えればよくこれで売れるなぁというな感じだったが、初日から契約を取っていった。

ここでも昇格はシンプル。当時の営業会社は何でもシンプル。とにかく売れば上がる。

 

しかし、初めて社会に出て何もかもが新鮮だった1社目とは違い、仕事に面白さとプライドを持てなかった。

すぐに辞めるつもりだったが、これから事業を拡大していくのでそっちをやらないかと誘われ、そっちをやることにした。

物流センターの立ち上げ、新商品の立ち上げ、社内報の立ち上げ、いろんな新しいことに携わらせていただいた。

中でも一番面白かったのが、レストラン事業の立ち上げだ。

 

この事業の立ち上げの最中に私は課長になった。

 

建物1棟をまるごと借り上げ、おしゃれな内装と豪華な機材を備えたエンターテイメントレストランの立ち上げに携わった。

建物は3フロアあってメインフロアには客席が100席くらいある大きめのレストランだった。

社長を筆頭に私を含め3名の社員が抜擢され、音響や映像のスペシャリスト、レストラン運営のスペシャリスト、料理のスペシャリストなどが集まり、オープンまでの半年程度の準備期間に取り掛かった。

血便が出るくらい忙しかったが、いろんな新しいことにチャレンジさせていただいた。

イラストレーターやフォトショップを駆使してオープニング広告を作ったり、メニューを作ったり。

広告を出す出版社と打ち合わせしたり、注文システムを作るシステム会社とのやり取りしたり、Webページを作るチームと仕事したり。

初めて名刺交換したのもこの時期だ。

今まで訪問販売しかしてこなかった私にとって、とても新鮮で面白い仕事だった。

24歳になって仕事の視界が一気に開けた感じだった。

 

レストランのオープンの時期には10Kg近く痩せていた。

見かねた社長がご飯に連れて行ってくれて唐揚げをたらふく食べさせてくれた。

 

半年間、みんな命を削って準備してきたが、オープン後の客入りは散々なものだった。

毎日の電気代も稼げないほどの売上に愕然としつつ、とにかく集客を考えた。

このときちょうど日韓ワールドカップの時期。どのレストランもフーリガン対策のためレストラン営業をどうするか問題を抱えていた。

フーリガンとはサッカー場内外で騒ぎを起こす熱狂的なファンのことだ。世界中から来る熱狂的なサッカーファンにお店を壊されないか、暴れて問題を起こされないか危惧していた。

 

私はこれをチャンスと捉え、街を歩く外国人にワールドカップ放映のチラシを配った。

店にある巨大なモニタと音響設備をサッカー観戦仕様にし、ポップコーンマシーンをレンタルして当日に備えた。

ワールドカップ期間中、レストランは毎日満席となった。

懸念していた暴動は一切起こらず、それどころか各国の紳士的な観戦態度に格好良さを感じた。

 

暴動が起こるかもしれないリスクを取って、この企画のGOサインを出した社長の英断により大きな売上が上がった。

そして私はこの結果を持ってして課長になった。

 

その後社長は、エンターテイメントレストランをレストランウェディングへと事業をピボットさせていく。

当時、披露宴というのはホテルで挙げるのが常識(地方では尚更)だったが、より自由度が高く、よりおしゃれな空間で挙げられるハウスウェディングやレストランウェディングというのが広まってきていた。

 

2社目でも管理職としての課長の仕事をした記憶はない。実績に応じて給料や役職が変わっていくだけで、社長を筆頭にとてもフラットな組織だった。

部下の教育責任もマネジメント責任もない。そもそも評価制度がない。

社員10名程度のスタートアップ企業だから当然かも知れない。

 

少数で激務を乗り越え、苦楽をともにしてきた仲間との絆は深い。

遅くまで仕事をしていると社長がピザを取ってくれる。

朝まで残って仕事をしている人と目が合うと、「お互い大変だね」というアイコンタクトで笑顔になる。

 

この会社はとにかく一緒に働いている人との絆が強く、それが働く理由になっていた人が多かった。

私もそうだった。

社長の思考や行動からにじみ出る人を大切にする思いが社内に伝播し、義理や人情を大切にする素晴らしさを知ることが出来た。

色んな経験をさせていただき、仲間を気遣ったり思いやったりする、多幸感あふれる会社だった。

 

ウェディング事業はその後大きく成長していくわけだが、そこまで社長はすべて一人で考えすべて一人で決断していた。

今は従業員数200名以上の大きな組織になっている。

 

2社目編 ~完~

 

1社目の私の課長時代